1997年1月、テレビに映ったのは真っ黒に変わり果てた故郷の海岸の姿であった。ロシア船籍タンカー「ナホトカ」が福井県三国町沖に座礁し、日本海側一帯を重油で汚染した。正月に福井に帰り、おいしい越前の海の幸を食べたばかりであったのに。いったい今後どうなるのであろう。実家に電話してみる と、「福井はパニックに陥っている。」気づいたときには友人3人と一緒に重油回収ボランティアに向かっていた。



現場の海岸に着くと、まず強烈な油のにおいが鼻についた。それはテレビや新聞だけでは伝わってこなかった。タンカーの船首を目の前に、地元の人と全国から集ま い重油のはいったバケツをリレーしていった。しかし、いくら回収しても次から次へと重油は漂着し、際限がないように見えた。もっともっと人手がいる!

 

 

福井からの帰り道、当時大学2年生であった私に名古屋でなにができるか考えた。一つの回答は大学でビラをまき、一緒に福井の海岸にボランティアに行こうというものだ。しかし、電車で行くとなると費用がかかり気軽にはいけない。そこで、ボランティアが集まってバスをチャーターして現場の海岸まで直接乗り込む計画を立てた。それが環境サークルの仲間と市民団体の人とで立ち上げた「名古屋オイルバスターズ」である。マスコミやインターネットや口コミで参加者を募集し、名古屋からバスで海岸まで行き、重油を回収し、終わったら名古屋まで帰ってくる。それまでは、ボランティアに行きたくても、どこに行けばいいのか、何を持っていけばいいのか、いくら費用がかかるのか、受け入れはしっかりしているのかなど、様々な疑問・不安点があった。それら疑問にオイルバスターズが応えたのであった。


実際どのくらいのボランティアが参加してくれるかはやってみるまでわからなかった。しかし、格安のバス代(2000円)、日帰り、持ち物の適切な指示などもあり、本当に数多くのボランティアが集まってくれた。「地元のお年寄りだけに任せておけないから」「福井には毎年海水浴に行くから」「カニが大好きだから」など、それぞれの想いを胸に集まった。また、バス代を支援するためにカンパも募り、ボランティアが負担するバス代が2000円から1000円に、最後にはただになった。また、各バス会社も社会貢献のため、格安でバスを運行していただいた。さらに、バスを運行するスタッフ希望のボランティアも高校卒業したての人を中心に集まった。


冬の日本海の天気は変わりやすい。晴れていたかと思ったら30分で猛吹雪に変わる。荒れ狂う日本海の波。ボランティアの安全と健康を考え、作業が中止となることも度々であった。名古屋にいると冬場は晴れが多いが、日本海側特有の鈍色の空が恨めしい。 また、現地のボランティア本部の目の前にあるタンカーの船首には依然たくさんの重油が残っており、重油をとってもとってもあふあれてくるとなると何度も絶望的になったものだ。 また、気温が高くなると重油が溶けだして地下に潜り、夏場は臭いが残ってしかも回収が不可能となるという話もあった。しかも重油の漂着したところは海水浴場が多かったのだ。






 


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