一刻も早く、一人でも多くの手が欲しい災害現場

うっちぃの名古屋水害バスターズ1
2000年11月号


 テレビに映ったのは、校庭が水没した小学校だった。

 9月11日夕刻から東海地方に降り続いた記録的な豪雨は、新川の堤防を決壊させ、愛知県内6つの川をあふれさせた。


 朝テレビをつけると、決壊地上空を飛ぶヘリからの映像では、小学校の校庭には数多くの自家用車が水に浸かっていて、回りの住宅も一体が茶色い水で埋まっている。新幹線をはじめ鉄道網、道路網はほとんど寸断されているとの情報が。
 私の自宅は名古屋市内の高台にあり全く影響はなかったが、水没したところは実際はどうなのだろうか。今後の復旧作業の見通し、ボランティアの要請等、知り合いにつてを求め情報を収集した。
ちょうど、愛知県庁内に、行政と各種福祉団体とNPOなどが協同してボランティア本部が立ち上がろうとした。現場の写真を撮ってくるよういわれたので、現場を見て来ようと思っていた私は愛知県庁から西枇杷島町まで自転車で走った。
  途中庄内川を越えてボートを持って名古屋市側に買い出しに来る被災者と大勢すれ違った。
写真1


 庄内川を越え、西枇杷島に入ったとたん、テレビではわからない「におい」が周りをおおった。茶色い水はまだ引いておらず、自転車をおいて短パンとサンダルで水の中を歩いていった。 膝まである茶色い水の中を歩くのは、地面が見えないという恐怖があり、泥や流されてきた様々なものを踏みつけながらおそるおそる進んでいった。車もフロントガラスまで水没している。一路テレビで映った小学校をめざした。
写真2  小学校に着いたときには、校庭の水は引いていた。しかし、何十台もの水に浸かった痕跡のある車が放置されていた。1階部分にも水が浸かったあとがあり、避難者は2階、3階にいた。教室ごとにすでにボランティアは何人か来ており、ペットボトルの水を配布する手伝いをした。
 「昨日は乾パン1個しかもらえなかった」と訴える人、水が引きかけているから家に帰ってみると、1階中泥だらけで家具も散乱していて、半泣きで帰ってくる人、下着も着替えていないから何とかしてほしい、と、テレビで上空から見る様子とは全く別の世界が広がっていた。
 教室や廊下に毛布1枚で疲れて横になっているお年寄りたちを見ると、どうすればよいのか途方に暮れた。
 小学校でボランティアをしていた同世代の人と知り合いになり、水没したところを歩いてまわってみようということになった。ガソリンスタンドからは廃油が漏れだし、水面に黒い油の筋が漂っていた。コンビニも全商品とレジなど全機械が水浸しになっていた。水が引いたところは家のかたずけを行っていたが、冷蔵庫をはじめとした電化製品や家具をはじめ、様々なものが道路にゴミとして捨てられていた。

写真3 写真4 写真5

写真6  堤防決壊地付近に近づくと、相当な勢いがあったらしく4トントラックが横転していたり、車が何台か重なっていたりもしていた。地面には何十センチも土砂が積み重なっており、今後の作業が思いやられた。

 歩いているうちに道を踏み外してどぶにはまり、いったんは胸まで水に浸かってしまった。水は次の日には引きそうだったので、家の中の片づけボランティアの必要性を実感した。


 こういう状況を何とか伝え、一人でも多くのボランティアを集めようとメールに感想を書いて発信した。(つづく)
内田 隆(名古屋大学大学院経済修士2年)

 

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