青年海外協力隊員 in CHINA キリハの小朋友の生きる力を求めてレポート
Vol.1 中国大陸に旅立ったころ

岸本桐葉さん写真
岸本桐葉(キシモトキリハ)
幼稚園に就職した3年目の秋、生命力あふれる子どもたちの目が印象的なポスターをキッカケに青年海外協力隊に志願。
「物に恵まれたこの日本で、私たちは何に満足しているのだろうか?物のない遠くの国で、この子どもたちはどんな素敵な幸せを知っているのだろう?」。
2回目の挑戦で合格。希望は情熱の国・異文化トンガだったが、派遣先は中国。
79日間の日本での訓練と、3週間の北京での語学研修を経て、2001年4月〜2003年4月まで中国湖北省黄岡・代代紅幼稚園教諭として働く。28歳。名古屋市出身。
タイトルの「小朋友」は中国語で子どものこと

青年海外協力隊に応募した理由。
 2年間幼稚園で働くうちに、保育の深さ、子どもの尊さ、愛の表現、そして生きる意
味と向き合うようになった。
 自分自身、現代社会に育ち親に物を与えられ育ってきた現代っ子の代表。
大学卒
業後、一応社会に放り込まれたものの「仕事、働く」ことに対して 親の庇護のもと何
も 真剣に考えてなかった。
 しかし、子どもの純粋な表現に感動するうちに「仕事」と「自分の人生」 が結びつい
てきた。子どもの自由な発想、表現、何にでも対応できる柔軟さ がいいなって。純粋
に、子どもたちや、物の少ないところで工夫して過ごしている 人たちから学びたいな
って思ったのが応募のきっかけだ。以前から協力隊のことは 知っていたけれど「2年
派遣」ということで足踏みしていた。  けれど通勤電車に青年海外協力隊募集のポ
ス ターが。 はっきりいってあのポスターにやられた!子どもたちの目のあの生命力
と喜 び。 すると80年の人生のうちの2年なんて、大した時間でない気がしてきた。

後押ししてくれた恩師のコトバ。
 尊敬する園長先生に出会ったことによりぼやけていた私の人生の輪郭が浮き出て
きたように思う。退職する時園長先生(シスター)はこう言って私の 背中を押してくれ
た。「3年たってやっと使えるようになると思ったらこれだもの。 でもそういった気持ち
をもってくれたことはうれしいわ」。
 子どもの幸せや人生の意味を考えながら国を超え人と交わり、心に壁をもたず理
解 し合おうという心をもったことを喜んでくれたんだと思う。常に暖かく見守ってくれた
園長先生のもとだったから自分を自由にし、世間の概念にとらわれず歩き出せた。
恩師のコトバに2年間いつも支えられた。

合格するまで。中国に赴任するまで。
 1999年秋に受験したが失敗。その後説明会に参加したり、いろんな人の意見、話
を 聞くうちにモチベーションはますます高まり、2000年3月末には幼稚園を退職。イ
ギリスに単身留学し、6月の1次試験に合わせて帰国、7月2次試験を受験。
 8月合格通知を受け取り、翌日派遣国の通知が届く。すっかり希望国「トンガ」だと
思っていたのに、封筒を開くと漢字で「中国」・・・。はっきりいってショック。
 中国からの協力隊への要請は、全般的にとても英才的な印象があった。たとえば
「踊りを教えて欲しい」「音楽を教えて欲しい」など、技術的な要請が多かったから。で
も、自分で行くとしたら絶対に選ばなかったであろう中国に派遣されるのも、導かれ
てのことと思うと、それもいい気がしてきた。
 派遣地域は、長江のすぐ下にある湖北省黄岡という普通の地図には載っていない
田舎町。79日間の日本での訓練と、3週間の北京での語学研修を経て、赴任先の黄
岡に向かった。  (7月号につづく)

(写真)自転車の大群
【写真右】
中国に来たことがない人は、今でも
北京でもどこでも自転車の大群のイ
メージがあるかもしれませんが、そん
なことはありません。
確かに日本よりは多いですが大都市
では少ない。意外に多いのはモータ
ーバイク 
(写真)代代紅幼稚園
配属先の代代紅幼稚園は、ディズニ
ーランドのような外観。
建物は派手だけど中身はフツー。
現在17クラス、700人ほどが通う大
きな幼稚園です
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