平野 ちひろ
聴覚障害者。子ども3人のうち、2番目の息子がダウン症。平成9年8月から、息子の療育を目的にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校へ語学留学。子どもたちはそれぞれ、アメリカの小学校で1年間学ぶ。現在、ハッピーサークル(手話サークル)、ASL手話講座(アメリカ手話)など、名古屋市北区を中心に活動。3人の子育ての傍ら、障害児の母親たちと活躍中。
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結婚して6年、子どもがのびのびと育てられる環境を考え、それまでに住んでいた愛知県を離れて夫の故郷である滋賀へ引越しました。
そこで2年間、ダウン症のたかひろも含め3人の子どもを預けながら自らもつとめた崇徳保育園やその地域での生活は、とても大切な思い出の1ページになっています。
どんな障害児であれ、同じ人間としてまず子どもたちとの触れ合いを考えてくれた園長先生、手話を習得することで、私とのコミュニケーションを大切に考えてくれた保育士のみなさん、
働く環境としてもこんな素晴らしい保育園はないと思っています。その背景にお寺があり、基本的に宗教的な考えがあったせいかも知れません。人それぞれちがって当たり前、
自分も友達も大切に「仏様に手を合わせ、感謝の心」という教えのもとに、今でもずっと取り組んでいるそうです。
たかひろが入園して1年後、私は臨時職員として働くことになりました。移住した滋賀県犬上郡豊郷町では保育園の臨時職員採用枠に、
65歳以上の高年齢者や障害者など、三つの条件の1つに当てはまれば職員になれるシステムがありました。
それまで私は保育園内で週2回、手話サークルで手話を教えていたので、その頑張りが認められて採用されたのです。
私の仕事は経理、欠席した先生の代わりの勤務、障害児や赤ちゃんルームでの保育など多種多様にわたりました。
自分の息子を含めた3人の障害児の面倒や、赤ちゃんのオムツ替え、離乳食を食べさせたりしていました。
園長先生の計らいで、私とのコミュニケーションをスムーズにするために毎週水曜日には子ども達に、土曜日の昼からは保護者や保育士にも
「ひまわりサークル」で手話を教えていました。折り紙を作りながら手話を使ったり、遊びの中で子どもたちに手話を覚えさせたり、
その成果として手話劇や手話ソングなど、子どもたちは保育園の生活発表会や老人慰労会に出向き、発表もしていました。
保育園内の活動にとどまらず、地域のラブハンド手話サークルの人たちと赤十字関係の行事や小・中学校の体験学習で手話講師も勤めました。
私の障害と障害児たちを受け入れて、みんなで対等に生きていこうとする保育園の教育方針はとても素晴らしかったです。
ここでの経験がきっかけで、私は息子の療育のためにアメリカへ留学することを決意したのです。
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