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平成4年1月10日に産まれた貴大の名は、貴花田が優勝した頃に生まれたので、貴花田のように大きくたくましくとパパが名づけました。その頃はまだダウン症の特徴だという認識は全くなく、両手の裏にある1本線(マスカケという)の大発見で、将来は大物になるだろうと誰もが大喜びしたものです。その名前どおりに大きくなって欲しいという願いを込めて、母子同室に入院したのですが、どことなく落ち着かない日が続きました。娘を産んだ経験から、たった50ccのミルクを1時間かけてゆっくり飲む不審さ、産まれた直後からずっと風邪をひいていました。生後6ヵ月くらいまでは母親から受け継いだ免疫があるというのに、何故病気になるのだろう、寝顔も普通の赤ちゃんとどこかがちがう。閉じている目が逆さに吊り上げ、舌を出して寝ているので、ある疑問が大きく膨らみ、胸騒ぎがしたものです。毎日のように心臓に合併症があるかどうか、心臓と手の裏を何度も検診するドクターに「一体何があったのですか?」と聞きたくても、怖くて聞けませんでした。もやもやした状況の中で、何人もの看護婦さんに聞いても「産まれたばかりだから大丈夫」という答えしか返ってきませんでした。1ヵ月後、血液検査の結果でダウン症という病名が判明しました。その場でドクターの話を聞いていた母はショックの余り、診察室のベッドで横たわっていたのを覚えています。2人のやりとりを終始みていた私は何も聞こえなかったので、青ざめた母の表情から、事の重大さを察知しました。その反面、たかひろはとてもいい子で、スヤスヤ眠っていました。
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たかひろ生後2ヶ月。枕元にあるのは「ベビーシグナル」。赤ちゃんが泣くとマイクを通して、お母さんの枕の下にある振動板が反応する。 |
ダウン症のたかひろを育てていて感じるのは、世の中に子どもの障害を隠して育てている親が多いということです。又、自分の障害を隠して、家に閉じこもっている人たちが何十万人もいます。街の中をスムーズに出入りする障害者たちをあまり見たことがありません。特に地方や閉鎖的な地域にはとても多いような気がします。都会に比べ障害者に接する機会が少ないせいか、都会では平気で子どもの障害を察知して「どんな病気なの?」と聞かれますが、田舎の方は何も聞かれないのです。その子が障害児だとわかっていても見て見ぬふりするか、気にしている人が「体のどこが悪いの?」と言ってしまえば、周りの人たちが「黙れ」と怒るのです。「障害は恥」という気持ちが彼らの頭の中にあって、失礼だと思うのでしょうか?
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鳥羽に温泉旅行に行った時の写真。
たかひろが生まれて最初の外出。
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確かに私は1ヵ月で早々と母乳が止まり、体重が10キロ減るほどのショックを受け、3ヶ月くらい誰にも会いたくないという衝動に駆られました。今までの自分と、これからの自分、聴覚障害という身の上でたくさん苦労を味わってきたので、これからたかひろと一緒に歩いていく自信がなくなったからです。でも考えてみれば、私は両親や教師たち、理解のある友人たちに支えられて、幸せな家庭の中にいました。
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最近のたかひろ。おもちゃ好きでいつまでも遊びたいので、「もう寝なさい」。と言ってもなかなか寝ずにふざけています。 |

ダウン症の専門書を何冊も読みあさり、たかひろと一緒に世界へ飛び出そうと思った私です。たかひろの笑顔を見て、不安な気持ちが全てふっきれました。田舎と都会、日本とアメリカ、それぞれの地で子どもたちと一緒に学べたことは、彼のお陰だと思っています。
もっと前に出て、障害を気にせずに堂々と生きていったらいい。お互いに障害という中味を知ってもらうために、人の偏見をなくすために、前向きに人に伝えていかなければ世界は変わらないと思います。障害は決して悪いことではない、恥でも何でもないのです。その子を産んだ両親へ、あなたならきっとできると神様がくれた贈り物だと思って下さい。みんな同じ人間だから、楽しく生きていきましょうよ。

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