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感情ドキドキ ちひろ通信
 障害児を持つ聴覚障害ママ・ちひろからの通信
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写真 平野ちひろさん
「アメリカ留学での出会い」
〜Wonderful children in the world〜

2002年5月
平野 ちひろ
聴覚障害者。子ども3人のうち、2番目の息子がダウン症。平成9年8月から、息子の療育を目的にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校へ語学留学。子どもたちはそれぞれアメリカの小学校で1年間学ぶ。現在、ハッピーサークル(手話サークル)、ASL手話講座(アメリカ手話)など、名古屋市北区を中心に活動。3人の子育ての傍ら、障害児の母親たちと活躍中。

ご意見ご感想をお待ちしております。 ボラみみ事務所まで。

 私は平成9年から1年間、語学留学も含め、息子の療育のためにアメリカに留学していました。その1年間で出会ったメキシコ人、ロシア人、アメリカ人、黒人、中国人などの子どもたちは、それぞれ個性があり、世界各国の文化が違っても、とっさに人を助ける習慣を身につけていました。私が初めて子ども達と一緒にアメリカに移住した時、日本からの荷物10数パックを運ぶのを手伝ってくれたのはメキシコ人の子ども達でした。4人の子どもがいるメキシコ人家族が我家の隣に住んでいて、彼らが見知らぬ人でも何かあったらとっさに助けるところを見て、最初は驚き、感心したものです。渡米して間もないころ、言葉が通じなくても自分の子どもたちと一緒に遊んでくれたこと、身振り手振りで言葉を交わしたことなど、子ども達の順応の早さに脱帽したことを今でも鮮明に覚えています。

 ある日ダウン症のたかひろがエスケープした時、近くの子ども達がとっさに彼を捕まえて家まで連れてきてくれました。もし日本で同様のことが起きていたら、私はドアを開ける音が聞こえないので、たかひろはきっと交通事故に遭っていたか、行方不明になっていたかも知れません。とっさに人を助けることが身についていると自分に何か起きた時に助けてもらえるという安心感があります。子ども達が急な時に助けてくれるのは、日常から思いやりのある行動ができているからでしょう。私自身が家の前で生ゴミを5袋抱えながら階段から転んだ時も、近くの子ども達が手を差しのべてくれました。「大丈夫ですか?気をつけて」。「ありがとう。大丈夫です」。子どものうちからどんな人にも受け答えすること、人を助けることのすばらしさ、大切さを日本の子どもたちにも伝えたいと思わずにはいられませんでした。


写真 写真(左):先生が手話を交え、物語を生徒に聞かせている様子
写真(右):教室内に貼ってある手話カード。カラフルで、子どもたちも興味をもって覚えます。 写真

 また、この地域ではバリアフリー的な学校教育が進んでいました。娘が通っていたワシントンスクールは、世界各国の子どもたちが集まり、ろう児10人、健聴児20人、教師2人が1クラスで学びました。全科目の授業の中に手話を取り入れ、健聴児も一緒に手話を使って学んでいました。両親など身近に聴覚障害者がいる子ども達は小さい頃から地域社会で手話生活をしますし、それまで手話を知らなかった子は学校で学びます。授業だけでなく、学校内には車椅子用のスロープやエレベーターがあり、難聴児のための授業開始終了ランプが設置されています。ろう児に接する時は、後から呼びかけても気付かないので、健聴児が肩をたたいて知らせます。授業中の先生の手話を見逃した時や校内放送があった時にも、健聴児が手話で説明してあげます。お互いに障害を理解し、自然に助け合える環境ができているため、子どもたちはすばらしく成長していきます。日本では考えられない教育だと思います。
写真
写真:
「手話ダンス大会」の様子。
「世界は自由」という曲を歌っている。写真は「愛」という手話。
  このように私が留学していた地域は、障害を受け入れ、健常者と対等に生きていこうとする社会でした。大人も子どもも地域社会で助け合いながら、偏見なく生活しているところがすばらしく、特に障害を持つ自分や他のハンディキャップを持つ人にも住みやすい環境でした。日本でも子どものうちから自然に助け合う環境を作って欲しい。いつの日か平等な社会で、障害をもつ者も持たない者も、手を取り合っていけるようになることを願っています。

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