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感情ドキドキ ちひろ通信
 障害児を持つ聴覚障害ママ・ちひろからの通信
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「浸水災害を振り返って 障害児(者)の命」

2002年1月
平野 ちひろ
平成9年8月から、息子の療育を目的にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校へ語学留学。子どもたちはそれぞれ、ワシントンスクール、ブレットハートスクールなど、アメリカの小学校で1年間学ぶ。帰国後、ハッピーサークル(手話サークル)、ASL手話講座(アメリカ手話)など、名古屋市北区を中心に活動。3人の子育ての傍ら、障害児の母親たちと活躍中。


ご意見ご感想をお待ちしております。 ボラみみ事務所まで。

 東海豪雨から1年余り・・・・・。平成12年9月12日は今でも忘れられない日です。8月に滋賀から越したばかりで、私は聴覚障害者であり、その上3人の子どものうち2番目の息子はダウン症という知的障害児を抱えて生活していました。

 当時を思い出すと、突然洪水に見舞われてから近くの避難所にたどり着くまで、とても長い時間がかかったような気がします。

まず、目の前のマンホールに水が溢れ出したのに気付いたのは夕方5時頃でした。2台の消防車が迂回している中、「1階までに1メートルくらいの高さがあるから大丈夫だろう。」と安易に思っていました。

ところが2時間後、自分のワゴン車のタイヤが見えなくなるまで水が差し掛かった時、「これは危険だ」と直感し、子供たちを家に残して車だけ避難させました。水が引いた時に、そこが楠中学の近くだとわかったのですが、その時はとにかく高い所へ避難するのが精一杯で、どこまで運転したのかわかりませんでした。

あたりは真っ暗で、引き返す時には膝までだった水が、急にお腹の所まできてしまいました。大雨と雷の恐怖の中、止まっている車のエンジンに水が入り、自動的に点滅していたランプを頼りに、道の真ん中を歩いて帰ってきました。どのくらい時間がかかったのでしょうか?家に着くと、子供たちはベランダで今にも泣き出しそうな顔で私の帰りを待っていました。

車を避難させてから1時間余り、1階に着くまでの階段上部まで水が溢れていました。とにかく下に置いてあるものを全部棚の上にあげて、畳を取り外して重ねるしかありませんでした。その後、急いで翌日のためにおにぎりを作り、貴重品や身の回りのものをビニール袋の中に詰めて、夜を明かしました。

夜中2時頃、とうとう玄関に水が入ってきたので、すぐにみんな雨カッパを着て、2階の階段に避難しました。その時は携帯もFAXも通じない中で、ひたすら助けを待つしかありませんでした。


被害の様子

おしらせ
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問合せはボラみみ事務所まで

 そんな中、ダウン症の息子たかひろは大雨と雷との恐怖で、ずっと泣きじゃくっていました。幸い、2階の人が窓から県警のボートを呼んでくれたおかげで、私たちは助かりました。たかひろに防服を着せようとすると暴れ回り、ずっと私にしがみついて泣いていました。

私は周りに音もない静寂で、避難警告も私の耳には届きません。私はいつも真正面に向かって相手の口話を読みとるので、あたりが真っ暗だと相手の口元が見えないのです。救助にきてくれた人にその理解があれば、懐中電灯を口のところに持っていって、私に話しかけて欲しかった・・・・・。

緊急文字放送や電子文字版など、緊急報告のために何でもいいから、目に見える情報が欲しかったのです。これは全般的に、聴覚障害者たちへの大きな課題だと思います。

 それからやっと避難所の楠中学にたどり着いた時は、時計の針は朝4時を回っていました。体力との勝負で疲れてしまった時、たかひろは安堵したのか、広い中学校内で元気に走り回り、何度も行方不明になりました。本当に活発な子で、どこかへ行ってしまうと私のところに戻ってきません。その度に子どもたちと一緒に彼を探すことになりますが、やはり障害児を抱えていれば体力が要ります。緊急時は特にそうです。

日本でもアメリカのようにハンディキャップセキュリティープログラムを作り、車いすで逃げられない人たちも優先的に避難できるようにしていく必要があると思います。そのためには、まずはハンディのある人がどこに住んでいるかを確認し、救助を施せる仕組みづくりが必要だと思います。彼らも含めて、高齢者や病を持った人たちも助けてあげてください。障害児(者)の命です・・・・・。


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